
滋賀に住んでいた高校時代、【梅田花月】はちょっと遠いし【なんば花月】は更に遠い上になんばの街が危険な気がして全く行く事はなく、劇場へ行く時は【京都花月】でした。
その【京都花月】も私が落語家としての内弟子修業が終わった昭和62年に閉館。
長らく京都に演芸場がない時代が続いていました。
そして平成23年(2011)に【よしもと祇園花月】がオープンしました。
当初、落語家がよく出てましたがその後支配人が代わりあまり出る機会がありませんでした。
ところが京都に移住してからは月イチくらいのペースでで出演させていただいてました。
ふるさとの滋賀から近い事もあって、滋賀の友だちや知り合いもよく来てくれました。
襲名披露公演もここでやりました。
楽屋口の隣のにある【喫茶コロラド】さんにはどれほどお世話になった事か。
その【京都花月】も私が落語家としての内弟子修業が終わった昭和62年に閉館。
長らく京都に演芸場がない時代が続いていました。
そして平成23年(2011)に【よしもと祇園花月】がオープンしました。
当初、落語家がよく出てましたがその後支配人が代わりあまり出る機会がありませんでした。
ところが京都に移住してからは月イチくらいのペースでで出演させていただいてました。
ふるさとの滋賀から近い事もあって、滋賀の友だちや知り合いもよく来てくれました。
襲名披露公演もここでやりました。
楽屋口の隣のにある【喫茶コロラド】さんにはどれほどお世話になった事か。

1回目と2回目の間はたいていこちらでカレーとコーヒーをいただいてました。
ネタを考えてたらコーヒーのおかわりをくれたり、デザートをサービスで下さいました。
感謝感謝です。
ネタを考えてたらコーヒーのおかわりをくれたり、デザートをサービスで下さいました。
感謝感謝です。

最後は「テレショップパニック」客席参加型落語で楽しんでいただきました。
古いですが立地条件もいいしキャパも丁度いい、思い出深い劇場でした。
また、京都にこんな劇場が復活して欲しいです。
古いですが立地条件もいいしキャパも丁度いい、思い出深い劇場でした。
また、京都にこんな劇場が復活して欲しいです。
コメントをお書きください